イギリスの王様が弱かったから産業革命は起きた!?|ビジネス教養:産業革命編

産業革命

こんにちは。アリントスです。

普段は国内電機メーカーの法人営業をしています。
28歳になり中堅に差し掛かり、仕事の責任が増えるにつれ、気合とノリでは太刀打ちができなくなりました。
そんな頃に脳内宰相ビスマルクさんが言うのです。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶのだ。21世紀では使い古された言葉だろうが、お前には必要な言葉であろうが!」と。

ということで、「第一次産業革命期におけるイギリスの企業家」を学び、現代のビジネスマンの我々のためになる知見を得ていきたいと思います。
前回記事までの参考文献はこちらです。

前回記事では産業革命といえば”蒸気機関”ということで、蒸気機関の発明の大まかな歴史と二つの流派の存在を整理しました。

1712年のニューコメンは17世紀の科学の発展を背景に揚水蒸気機関を初めて開発しました。しかし、そこから100年以上の改善期間を経ることで、ようやくイギリス産業の機械化が促進されていきました。

今回は、参考文献を一つ追加します。

「テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス」著者はカール・B・フレイ。
世界的にベストセラーにもなった書籍になります。
こちらの書籍は、「第四次産業革命にてAIに仕事が奪われる」という論調に対して、第一次産業革命から第四次産業革命に至る、技術の発展とその背景、発展に伴う社会の動きを経済史の観点から整理された大著になります。

この書籍を取り上げる最大の理由は、本書ではこれまで見てきたロバート・C・アレンの書籍も踏まえ、より広範な見地から第一次産業革命を分析しているからです。
その意味で、これまでの学びを補完しつつ、より深く第一次産業革命を知ることができると考えています。

この書籍からは大きく以下の2点を整理します。

  1. ロバート・C・アレンの主張への批判
  2. 第一次産業革命がイギリスで発生した要因の補足

これまでの学びへの批判を整理した上で、カール・B・フレイが主張する第一次産業革命がイギリスで発生するための重要な要因を見ていきたいと思います。

当時のイギリスの賃金水準はそれ程高くない

第5回目の記事においてロバート・C・アレンの書籍から「なぜイギリスで産業革命が起きたのか」を整理しました。
概説すると、「高賃金な労働力を安価な石炭に置き換えるという方向性のもとに発明されたました。
そして、生産要素価格の比率を劇的に変えるマクロレベルの発明から実際の現場に落とし込むミクロレベルの発明の段階を踏んで、産業革命の技術は洗練されていきました。」ということでした。
カール・B・フレイは本著の中で「高賃金な労働力を安価な石炭に置き換えるという方向性」ここを批判します。

たしかにこの説明は魅力的だが、新たに収集されたデータによると、イギリスの賃金水準は思ったほど高くなかったことが判明している(12)。しかも、イギリスの賃金が相対的に高かったと仮定しても、初期の労働節約型技術、たとえば起毛機や靴下編み機は激しい反対に遭って普及しなかった。

テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス p113

つまり、ロバート・C・アレンの参照したデータは古いし、初期の労働力を節約し安価にする機械は普及していないと指摘しています。

イギリスで産業革命が起きたのは政府が労働置換技術の導入を奨励したから

ロバート・C・アレンの魅力的な説明を棄却し、カール・B・フレイが主張するイギリスで産業革命が起きた最大の理由は、政府が労働置換技術の導入を推奨したからだとしています。
前提として本書での言葉の定義として、

  • 人間の労働を助ける技術 →労働補完技術(労働節約型技術)
  • 人間の労働に置き換わる技術 →労働置換技術

とされています。
産業革命前においても労働補完技術は発明され、一般に広まっていたとされています。
例えば、農業における牛馬に引かせて田畑を耕す大型の重い鋤を導入し、開墾可能な土地を広げて、生産性も大幅に押し上げたとされます。
しかし、産業革命前は労働置換技術が出現した際には政治的支配者により導入を阻止されているのです。
その理由を端的に述べられている箇所を本書より引用しましょう。

政治的支配力をすでに握っている者にとって、ほとんどの場合、創造的破壊という不安定化プロセスには何の利益もない。経済的負け組の集団が既存の政治体制を脅かしかねないからだ。

テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス p43

つまり、労働置換技術によって置き換えられた労働者達が暴動を起こし、政治体制を脅かすため、そのような技術の導入は力によって阻止してきたということになります。

では、産業革命当時のイギリス政府が労働置換技術の導入を推奨したのはなぜでしょうか。

当時のイギリスが端的には、

  • 1642年〜49年のクロムウェルが率いるピューリタン革命により国王の政治介入が制限され、産業振興に熱心な議会派が政治の中枢を占めていた
  • 新大陸発見により国際貿易が盛んになり、産業の競争力が国家そのものの競争力となった

という状況に置かれていました。
つまり、本書から引用すると、

外的な圧力の脅威が、国内の社会不安の恐れを上回るようになったのである。

テクノロジーの世界経済史 ビル・ゲイツのパラドックス p132

ということになります。
イギリスでは支配者層が商人や発明者の味方となり、労働置換技術を奨励し、機械化を進め、国際競争力を付けようとしたのです。
反対に、イギリス以外の多くのヨーロッパの国では依然として、国王が貿易と権力を握り続けていたため、労働置換技術の導入を阻止し続けていたのです。

経営戦略の策定にはやっぱり環境分析が大事!

もはや現代のビジネスパーソンに説く必要など無いほどに、”環境分析”は当たり前の知識・素養になっていると思います。
「それを何を今更」と言われるかもしれませんが、歴史を学び改めて、考えさせられたところになります。

自社が置かれた現実を正しく把握するために、自社の内部と外部の環境に着目するのが”環境分析”ですよね。
有名なフレームワークとして「3C分析」「PEST分析」「SWOT分析」などが挙げられます。

産業革命期のヨーロッパ各国は一様に、国際競争力の向上が国家の生き残りに繋がるという状況に置かれていました。
しかし、その状況において、イギリスやオランダといった極一部の国だけが、適切な”環境分析”を行うことができたために、国内の社会不安よりも技術の奨励を行うことができました。
適切にできなかった王制の国家は、この後、彼らの後塵を拝することになり、次第に解体されていくことになります。

基礎的で当たり前の”環境分析”を疎かにしない。
そして、適切な意思決定に繋げる。

というところで本記事は終わりにいたします。
次回では、遂に産業革命期を生きた企業家に触れていきたいと思います。

ここまでお読み頂きありがとうございました。
良い日々をお過ごしください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました