こんにちは。アリントスです。
国内電機メーカーの法人営業を新卒以降そつなくこなし、約6年経ちました。
妻にも息子にも恵まれた三十路間近の28歳です。
しかし、仕事の責任が増えるにつれ、気合とノリでは太刀打ちができなくなりました。
そんな頃に脳内宰相ビスマルクさんが言うのです。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶのだ。21世紀では使い古された言葉だろうが、お前には必要な言葉であろうが!」と。
ということで、「第一次産業革命期におけるイギリスの企業家」を学び、現代のビジネスマンの我々のためになる知見を得ていきたいと思います。
読み進めている参考文献は引き続きこちらです。
前回記事では、産業革命は”たまたま”起きたのではない、”起こるべくして起きた”のだということを書きました。
そして、「当時のイギリスは労働者の賃金が高かった」ことが、イギリスで産業革命が起きた一因ということにも触れました。
今回は「なぜ、当時のイギリスは労働者の賃金が高かったのか」という点の概略を示します。
その上で、感じる現代日本とのオーバラップを書いていこうと思います。
「なぜ、当時のイギリスは労働者の賃金が高かったのか」というと、そもそもどれくらい他国と違いがあったのでしょうか。
18世紀ではイタリア、オーストリア、インド、中国の労働者は生存維持のみを行い、全くゆとりの無い生活を行うために必要な収入しか稼げていなかったのです。
これに対して、イギリスでは彼らの倍以上を稼ぎ、ゆとりのある生活すらも送ることができていました。
現代のビジネスマンの感覚からすると、これだけ賃金格差がある中で技術力も大して変わらないのであれば、高賃金の国は駆逐され、たちまち低賃金に叩き落とされるだろう、と思います。
実際の歴史はそうはなっていないのが、面白いところであり、学ぶべきところです。
イギリスが高賃金経済になった理由として、本書では以下の3点に集約されています。
- 国際貿易発展による都市の成長に伴う、都市での労働力不足
- プロト工業化(イギリスでは新種毛織物の製造)による、製造業の国際競争力の高まり
- 都市の非農業従事者を支える農業生産性の向上
「1.国際貿易発展による都市の成長に伴う、都市での労働力不足」から見ていきましょう。
1500年から1800年にかけてロンドンの人口は約10倍になったと本書は言います。
そこでは貿易関連業(海運業や港湾サービス業など)と商業に携わる労働者が激増しています。
17世紀初めのロンドンの毛織物輸出と、植民地産品の輸入によって、貿易収支は均衡していた。そして、18世紀は植民地産品の再輸出で、ロンドンの貿易はさらに拡大した(boulton 2000,p.321)。これらの国々はすべて重商主義政策をとり、植民地との交易は自国民にだけ制限しようとして介入した。
世界史のなかの産業革命―資源・人的資本・グローバル経済 p 133
本書ではこのように記載があります。このような国際貿易が発展するにつれ、そのお膝元であるロンドンは拡大します。
拡大する都市は労働力が不足しますから、賃金が高くなるということになります。
「2.プロト工業化(新種毛織物の製造)による、製造業の国際競争力の高まり」は歴史の面白さが詰まっています。
少々長文になりますが、本書から引用します。
プロト工業化は、近世経済発展のなかで両義的な役割を果たしたことを反映して、矛盾した要因を孕んでいる。一方で経済的先進地域では、大規模な農村工業(たとえば新種毛織物)が起こり、経済を牽引して、経済成長に重要な役割を果たしてきた。だがもう一方で、多くの農村工業は、経済的に遅れた地域でも発達し、その地域の産業革命につながるような遺産を残すことはなかった。
世界史のなかの産業革命―資源・人的資本・グローバル経済 p 135
つまり、同じ事象は他国でも発生していたが、イギリス等の経済的先進地域ではプラスに働いたが、そうではない地域では、むしろ農業生産性を低下させ、低賃金を助長していたということです。
(ちなみに、プロト工業化の通り、まだ産業革命は始まっていません。)
これが、隣の芝生が青いからといって、単に真似をするだけでは意味がないということですね。
競合他社の真似をして、むしろ駆逐されてしまった苦い思い出が皆さんにも、一つや二つありますよね。
この新種毛織物が国際競争力が高く、イギリスの主要な輸出品となり、さらなる貿易拡大をもたらします。
「3.都市の非農業従事者を支える農業生産性の向上」は一見すると当たり前に思えてしまいます。
「農業従事者が減るんだから、その分、生産性を上げないと食い物無くなって破綻するに決まっているじゃん」と。
ただ、私たちは現代でビジネスをしていて、よく分かっているはずです。
上司から生産性を上げろ、と言われるだけでは、そう簡単に生産性なんて上がらないということを。
なのに、当時のイギリスの農民は、なぜ生産性をあげることができたのか。
それは本書はこう語る。
開放耕地農民であれ、囲い込み地を耕作する農民であれ、経営規模の大小に関わりなく、あらゆる種類の農民は彼らなりに農法を改良してきたこと、したがって制度的な変化は原因ではありえなかった(中略)。何かほかの要素が原因であったとすれば、都市経済の成長が明らかにその一つであると考えられる。
世界史のなかの産業革命―資源・人的資本・グローバル経済 p 83
すなわち、あらゆる農民が自己判断ができる状況にあり、自分で実験できる土地を持っており、愚直に改善活動をしたということです。
そして、後段を端的に言うと、「じゃんじゃん作れば、じゃんじゃん売れて、じゃんじゃん儲かるから、生産性を高めた」ということになります。
うん、素直でよろしい。
実際に、17世紀当時の小規模農民の所得は、高賃金となっていたロンドンの労働者と並ぶものでした。
責任委譲と結果に対するインセンティブが重要だと分かります。
まとめ
まとめると、イギリスの高賃金経済をもたらしたのは、
- ロンドンでは労働力の需要に対して供給が小さかったこと
- 自国の状況に適した活動(プロト工業化)を行ったこと
- 責任委譲とインセンティブで農業生産性を上げたこと
と言えるでしょう。示唆深いかなと思います。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
良い日々をお過ごしください。
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